About「BONE PLANTS」
はじめに
「BONE PLANTS」はディッキアの「育生・販売・普及」に特化したD.I.P.の植物ラインとして2022年にスタートしました。
拠点は福岡。
活動の主軸は3つ。
①国内で独自に交配したオリジナルのハイブリッド・ディッキアの育生・販売。
②海外へ買い付けを行い、現地で選抜したディッキアの育生・販売。
③デザインされた独自のディッキア育生スタイルの提案。
プロとしてのディッキア育生経験と実績を踏まえ、ディッキアの素晴らしさ・育生の面白さをSNSやイベントを通して提案させて頂いてます。
BONE PLANTSのメンバー構成としては現在、デザイン担当とディッキア担当に分かれて活動しています。
そのうち私はディッキアの担当をしており、約10年間を(植物やビザールプランツというジャンル全体ではなく)一つの植物品種である「Dyckia(ディッキア)」と向き合うことに費やしてきました。
そう話すと、
「なぜ人生の多くの時間を植物に費やす事になったのか?」
そして、
「数ある植物の中でどうしてディッキアだったのか?」
とよく聞かれます。
この記事ではそれら疑問の答えとなる「どのようにして植物の世界、中でもディッキアへ没頭することとなったか」そして「どうしてBONE PLANTSがスタートすることとなったか」を紹介させて頂きます。
少し長くなりますが、最後までお付き合い頂けると幸いです。
植物の世界への起点
小さい頃から植物に興味があった、という訳ではありませんでした。
特にやりたいこともないまま高校を卒業した私は「5教科の中では理科が好き」というよく分からない理由で地元の園芸店に就職しました。
私の担当した売り場は「花苗」。
主な業務内容は、花の世話や販売、寄せ植え。
それなりに真面目に、それなりに手を抜きながら業務をこなす日々でした。
そうやって1年が過ぎた頃、園芸店でとあるイベントが開かれる事になりました。
イベントの内容は「ブロメリア科」という当時(今でも?)マイナーな植物にスポットをあてた、かなりマニアックなもの。
「こんなマニアックなイベントに人が集まるのか…?」と、当時の私は疑問に思いながらイベントの準備を手伝っていました。
結局、イベントは大きく盛り上がることもなく、かといって大きく失敗という訳でもない規模で終える事になったのですが、それは私にとって忘れなれない出来事となりました。
そのイベントで、外部からブロメリア科の紹介者として呼ばれたゲストの方。
その方との出会いが、私の人生を変える起点となったからです。
わざわざ専門家として外部から呼ばれているだけあって、そのゲストの方は植物に非常に詳しいのですが、その事自体は私にとってさして重要ではありませんでした。
私が強烈に惹かれたものは、溢れんばかりの植物に対する愛情と熱量。
子供のようなキラキラとした目で、本当に楽しそうに、そして嬉しそうに植物の事を話す大人を目前にして、私は頭を殴りつけられたかのような衝撃を受けていました。
当時19歳の私は、
「こんなに夢中になれるものを持っていて、こんなに楽しそうに生きている大人がいるのか」
と、その事実に感動し、それと同時に強烈に憧れました。
その出会いがきっかけで、その日から私は「人生をかけて本気でやりたい事は何か?」と考えるようになりました。
しかし衝撃的な出会いがあったからといって、そう簡単に夢中になれるものが見つかるはずもなく。
行き場のない憤りを胸に抱えたまま、その後も変わらず園芸店で過ごす日々は続きました。
ビザールプランツ、ディッキアとの出会い
胸の中にモヤモヤを抱えながら過ごす日々の中、たまたま立ち寄った本屋の一角で一冊の本に目が止まりました。
雑誌の名前は「BRUTUS」。
表紙には見たことのない形の植物と、中心に印刷された「珍奇植物」という聞き慣れない言葉。
その表紙に不思議な魅力を感じ、私は雑誌を購入しました。
家で雑誌を開くと、そこには今まで見た事のないBizarre Plants(ビザールプランツ)という園芸ジャンルの世界が広がっていました。
「Bizarre(奇妙な)」「Plants(植物)」という名の通り、珍奇な形をした多種多様な植物達。
雑誌の中ではそれらの植物が取引されている海外の植物市場もいくつか紹介されており、その中で目に留まったのがタイの植物市場でした。
「タイって日本から近いよな」
「行こうと思えば行ける距離なんじゃないか?」
食い入るようにタイの植物市場が紹介されているページを隅から隅まで読み込み、雑誌を閉じた時には決心していました。
「この場所に行こう」
「どうして行くのか」に答えられる理由は自分の中にはなく、それは抑えきれない衝動のようなものでした。
仕事の休みを調整し、最短で準備を整え、バックパック一つで飛行機に飛び乗りました。
全てが急な事だったので、初めてのタイへの滞在期間はたった二泊三日。
話せる英語は中学レベル。
初の海外で分からない事ばかりの中、目的のチャドチャック市場と呼ばれる植物市場に向かいました。
タクシーを降りて、市場の中に足を踏み入れると、そこには雑誌で見た世界が本当に広がっていました。
当時日本ではあまり出回っていない、雑誌の中でしか見たことのない植物がズラリと道の両脇に並び、それが迷路のように延々と続く、夢のような場所。
強烈な太陽が照りつける中、ダラダラと汗を流しながら夢中で植物市場を何時間も何周もグルグルと歩き続けました。
二泊三日、持ちきれない程の植物を買い漁り、特に大きなトラブルもなく無事帰国することができました。
それらタイで買った植物たちは国内に持ち帰った後も変わらず魅力的でした。
ビカクシダ・リドレイやタンクブロメリア、ディッキア、サンスベリア…。
それらの植物をベランダに並べて育生しながらタイの現地に想いを馳せ「次はいつ行こうか…」などと考えていました。
タイから持ち帰った植物の一つ。
初め、私の中でディッキアはそういう位置付けでした。
勿論、興味があったのでタイで購入し、わざわざ日本へ持ち帰ってきたのですが、
「はじめからそこまで強烈な魅力を感じていたのか?」
と聞かれるとそうではなかったと思います。
しかし、成長するにつれ見れる様々な変化。
「荒々しい葉」「美しい葉模様」「ロゼット状に展開する草姿」「白く強烈な刺」
それらディッキアの全てに、徐々に、しかし確実に魅了されていきました。
タイでディッキアに出会い、日本で育てはじめて数カ月後。
「タイから持ち帰った珍しい植物の一つ」でしかなかったディッキアは、気付くと「この植物を仕事にして生きてみたい」という存在になっていました。
ディッキアを求めて、再びタイへ
当時ディッキアの日本国内での認知は低く、扱われている品種も少量。
ネットでディッキアの育成方法や品種情報を調べてみても、満足のいく詳しい内容のものは殆ど出てきませんでした。
ディッキアの事をより深く知るには、日本国内では情報不足。
そこでもう一度タイに行くことに決めました。
目的は「ディッキアの買い付けと育生情報の収集」。
ディッキアの原産国は南米。
ただ(現在もそうですが)当時からタイはディッキアの生産地として盛り上がりを見せており、著名なディッキア育生家やそこから作出された品種が日本で一部取引されていました。
もう一度タイに行くと決めた時点で「ディッキアで生きていく」という決心は揺るぎなかったので、勤めていた園芸店は退職することにしました。
二回目のタイ。
タイの著名なディッキア育生家の一人であるQ氏にアポイントを取り、約一カ月かけてディッキアの育生方法や品種、日本へ輸入するためのルートを勉強しました。
タイでの経験を経て、日本へ帰国し、本格的に国内でのディッキア育生と販売をスタートする事となりました。
借金をして建てたハウス。
タイで買い付けたディッキア約200株。
ディッキアに対する好奇心と情熱。
それが当時の私の持っていたほぼ全てでした。
タイと日本では環境が異なるため、タイで学んだ育成方法がそのまま日本で適用できる訳ではありません。
また、相変わらず国内でのディッキアに関する育生事例や信用できる情報は少なかった為、必然的にほぼ手探りでのスタートとなりました。
希少な株を枯らしてしまったりという失敗も多く経験しました。
6m×10mのハウスの中、夏は40~50℃を超える環境下で、泥や汗にまみれながら育成方法の確立していない植物と向き合う日々。
日が落ちて手本が見えなくなるまで作業をし、また翌朝ハウスに向かう。
上手くいくことの方が少なく、毎日が失敗の連続でした。
お金もなく、売り先もなく、そもそも商品であるディッキアの育生も思うように進まない。
ただ、だからといってディッキアに自分の人生をかけた事への後悔は全くありませんでした。
もがいても先の見えない事ばかりで、「これから一体どうするんだ?」と、不安に押しつぶされそうな時も沢山ありました。
でもそれ以上にディッキアの変化や成長を見られるのが楽しくて仕方がない。
そんな毎日でした。
BONE PLANTSの誕生
ディッキアの輸入・生産・販売がなんとか波に乗り、数年経ったある日のこと。
「ディッキア好きで、鉢を作ってる面白いヤツがいるから紹介したい」
と、知人から急な電話がありました。
それがD.I.P.との出会いでした。
紹介してくれた知人の家で会う流れになったのですが、第一印象としては「よくしゃべる人だな」という感想でした。
ディッキアの事や鉢の事、D.I.P.でこれからやりたい事。
コンビニの缶ビール片手に一晩中、延々と楽しそうに語っていました。
現実味がある事もない事もごちゃ混ぜにして話すので、正直言うとその時は話の3分の1程度しか共感はできませんでした…。笑
ただその話の中でも「園芸をデザインしたい」という観点は面白いと感じました。
自分が長年向き合ってきたディッキアという植物。
この人と組むことで「自分の見ている角度とは違う、別の角度でディッキアの魅力を伝えられるのではないか?」と思いました。
それに「自分もそれを見てみたい」という好奇心が重なり、互いの手を取る事となりました。
そうやって2022年6月、D.I.P.のディッキアラインである「BONE PLANTS」が誕生しました。
最後に
私はビザールプランツが大好きです。
死ぬときはブラジルの荒野で野垂れ死に、その地のビザールプランツの肥料となれれば本望だと割と本気で思っているくらい好きです。
そして、その数あるビザールプランツの中で最も好きな植物がディッキアです。
ディッキアの魅力は「強い鋸歯」「ロゼット状に展開する草姿」「成長の速度」「強い生命力」など、挙げるとキリがありません。
ただ、それらは私がディッキアを好きな本質的な理由ではないと思います。
理由はなく、ただどうしようもなく好きなんです。
かれこれ約10年ディッキアを育てていても、まだディッキアを見るとワクワクします。
新しい品種を見ると、ドキドキします。
ディッキアを目にする度に「美しい、そしてカッコいい植物だな」と心の底から思います。
愛してやまないディッキアの面白さやカッコよさ。
その魅力はきっと「育ててみないことには分からない」類のものなんだと思います。
なので、まだディッキアを育てたことのない方には、
「いいからとにかく一度!騙されたと思って育ててみて欲しい!」
と、切に思っています。
荒々しくも美しいディッキアという植物。
適当にではなく、初めは少し面倒でも、ちゃんと向き合って育ててみてください。
「こんなに面白い植物は他にない!」と、きっとあなたも思うはずです。
--------------------------------------------
Dyckia(ディッキア)の管理や育成方法で困ったこと、個別に聞きたい事があった際はInstagramのBONE PLANTSへのダイレクトメッセージにて随時対応しております。
BONE PLANTS ACCOUNT→ https://www.instagram.com/bone_plants_fuk/
些細な事でも構いませんので、遠慮なくご連絡下さい。
なお、自身の育成株についての質問の場合は写真を添付頂けると幸いです。
宜しくお願い致します。
D.I.P.|Botanical Products Creation Crew
Botanical Products Creation Crew
JPN.FUKUOKA | since 2021.
ビザールプランツと呼ばれる珍奇植物を中心テーマに植物用品をデザイン・制作するクリエイターチーム。"人の手で生み出す造形"をコンセプトにプラスチック鉢や陶器鉢、シルクスクリーン、刺繍ポスターなどを商品展開。Dyckia・Agave・Caudex・Euphorbia・Cactus・Bonsai…。多種多様な美しい造形をした植物のある暮らしをデザインする。それが私たちの仕事です。
屋号 | D.I.P. |
---|---|
住所 |
〒815-0042 福岡県福岡市南区若久3-8-4 |
営業時間 | 10:00~18:00 |
定休日 | 不定休 |
代表者名 | 志方 優輝 |
info@dipfukuoka.com |